いえないきもちがあるとき、ほかのひとがよめないげんごでかいて、とうこうしたいの、そんなおもいがでることがあります。
いえないから、いいさえすればおちついて、ホッとするとおもってます。
そういうはずです。
おかしいじゃないですか。おしえたくないなら、なぜ、ソーシャルメディアにシェアしますか。グーグルでほんやくすれば、まちがいがあっても、たぶんわかるんでしょう?にっきにかくとか、こどもたちようにきのあなにつたえるとか、そうしたほうがいいじゃないですか。
ぼくが、ホントにおかしいですね。
ぼくたちは、ずっと、だましてばかりいます。じぶんにも、みんなにも。いいたくないわけではありません、こわいんだけです。
だからだれもしらないところにかくしています。それはもんだいをかいけつできないのはわかってても、だれか、あるいは、あのひとがなんとかわかってくれてほしいです。
そしたら?みんながどうおもうかわかりません。きらうとか、ことわるとか、さけるとか。このようになったらどうしますか。
ですからいつもにげてにげて、にげればにげるほど、そのかんじょうがどんどんつよくなりました。どんなちいさなことでもよろこばれて、かなしまれて。
でも、いままでも、それがホントのきもちかどうかわかりません。
No comments:
Post a Comment